時事ネタコラムのページ [利酒日記別室]

2006年1月


2006年1月1日
 昨日の日本レコード大賞は、「エロ格好いい」で一世を風靡した倖田來未が見事、大賞を受賞した。
 そのあと深夜まで音楽番組を見ていたら、なんといっても私の好きな大塚愛とか、 歌としゃべりのギャップがカワイイ愛内里菜とか、圧倒的歌唱力のaikoとか、気づいてみれば、 みんなみんな関西ギャル!が、大活躍。
 関西万歳!な2005年でありました。


2006年1月6日
 実は新年早々風邪をこじらせ、病床に伏していた。
 ではどうして連日アップし続けられたのか?といえば、飲みたくもない酒(一昨日とかその前とか、ホントに飲みたくなかった) を2口くらい無理やり飲み、ささっとコメントを書いていたのだ。これもひとえに、連続無欠勤更新記録のためである。
 なぜそこまでするのか、自分でも本当に呆れる。でもその頑固さが、私なのだ。
 熱があって体の節々が痛み、寝返りを打てば寒気がするほどの症状だった(少なくとも昨日までは)。 それでも普段と変わらぬ生活をしようとするのは、それが回復のために一番良いことだと考えているから。
「まだ若いからそんな無茶ができるんだよ」と、20代の頃から、よく言われてきた。 30代になっても言われた。
 さすがに40代になると、「もう若くないんだから、無理はやめなさい」と言われる。 私にしてみれば、無理ができることが若さの証明だというのに。
 だいたい年末年始は業界的に仕事が一番忙しい時期。高熱を出していても、 病床でパソコンを打たなければ、成果物が納期に間に合わない。
 例年なら大晦日と元日だけ休むところが、今年は1月2日も休んでしまった。 翌3日は、悪寒と戦いながらの仕事だった。
 仕事がなければいつでも休めるのがフリーランスの特権だが、 仕事が詰まればたとえ高熱があっても働かなくてはならない。今度ばかりは、仕事が辛いと、初めて思った。
 でも、辛いと感じながらも自主的に仕事をし、誰に頼まれたのでもないHP更新までやってしまうこんな毎日が とっても楽しい。


2006年1月8日
 年末年始のTVに、細木数子サンが出まくっていた。
 占いというとすぐに眉をひそめる人が少なくないが、単にエンターテイメントとして、私は細木サンの番組を楽しんでいる。
 06年のプロ野球セントラルリーグはどこが優勝するか?との問いに対し、 難しいなあ、と前置きを置きながらも、 「広島、ヤクルト、巨人はない。あ、いや、巨人は面白い試合をする。監督が」と。そして次に、「中日もない」と。
 06年のセ・リーグは、低いレベルの争いだからどこが出てきてもわからないと言いながら、結果的に、 阪神、横浜に、巨人が加わる戦いになるというのが、細木サンの占いだ。
 一方、パ・リーグは、ロッテ、西武、ソフトバンクの3チームの争いだと明言していた。
 もちろん誰かが入れ知恵してるに決まっているが、それを六星占術で根拠づけて見せるところが、 知的なエンターテイメントたるゆえんである。
 阪神ファンとして嬉しい予想であるわけだが、さてどうなりますか。

 また、ポスト小泉について、「安倍さんは、ない」と言い切った細木サン。 「おだてられれば、武部さん」と言っていたのには、 私はいたく感心した。十分あり得るなと。
 自分の名を後世に残すためなら、人を平気で踏み台にする小泉首相である。 偉大なるイエスマン武部氏ほど、使いやすいものはない。おだてれば、簡単に木に登ってくれそうだ。
 次の首相になる人は、トランプで言うと、ジョーカーを引かされることが初めからわかっている役回りである。 増税、年金改革と、次の選挙で痛い目にあうことは目に見えている。もし選挙で大敗しても、「首相が悪かったから」で片付け、 自らが後見人になって「ポスト武部」に安倍サンを推せば、小泉院政時代が続く。そこまで企んでいても、まったく不思議はない。
 そういう筋書きならば、対抗馬として小沢新党が面白いだろう。加藤紘一、綿貫、田中康夫も加わり、 首相候補に野田聖子で決まり。小沢氏は後からにらみを効かす。そうなれば、前原民主党は、自民と連立に入る。政界ガラガラポンだ。
 そんなドラマが待っているなら、細木サンの言うとおり、武部首相も十分に面白いではないか。
 それにしても「安倍さんはない」と断言するって、「中日の優勝はない」というより、ショッキングだけどね。


2006年1月12日
 清原選手が関西に帰ってくるから嬉しくなって、地元岸和田を訪ねてみた(ウソ。単に仕事で行っただけ)。
 街中で、面白い自販機を見つけた(クリックすると、大きい写真が見られます)。
 岸和田は城下町で、歴史のありそうな建物も多く見受けられる。そういう文化を売りにしたいのはわかるのだけれど、 この自販機のデザインはいただけない。なんだか暴走族の落書きみたいにも見える。
 岸和田といえば、全国的に「だんじり」が有名なのだけれど、 それ以外にも観光客を呼べるような努力がもっともっと必要ではないかと、さびれた駅前商店街を歩きながら、思った。



2006年1月14日
 ビール大手4社の2006年の販売計画が出そろったと、新聞で報道された。
 それを見ると、各社ごとの戦略の違いが浮き彫りになっていて、おもしろい。

メーカービール発泡酒第3のビール
アサヒ14,300 (+3.0%)3,800 (-4.3%)1,900 (+28.4%)
キリン8,420 (-0.2%)6,180 (-6.6%)3,890 (+39.4%)
サッポロ 3,730 (-2.0%) 780 (-30.0%)2,600 (+19.0%)
サントリー 2,190 (+21.7%)1,660 (-18.1%)1,600 (+19.0%)
単位:万ケース、( )内は対前年増加率

 まず目につくのは、各社とも「第3のビール」の出荷量を大幅に増やそうとしていることだ。 特に、のどごし生が好調のキリンはかなり強気である。サッポロとの基礎体力の違いみたいなものを感じる。
 特筆すべきは、サントリーのビールに対する積極的な姿勢である。 ザ・プレミアムモルツが好調だという背景があるにせよ、この姿勢は称賛に値する。
「二極化」というのは、既に言い古されたキーワードだが、 その流れに忠実なサントリーの戦略が、一番正しいように思う。もちろん、アサヒのビールの伸び率が小さいのは、 既にトップシェアだから、守りの姿勢ということだ。これ以上飛躍的に伸ばせないほど、 市場を押さえているわけだ。一方、サントリーは、ビールのシェアをもっと伸ばそうと、 虎視眈々と狙っているということだ。
 サッポロが、発泡酒を3割減らしても第3のビールを伸ばそうという姿勢も、理解できる。 北海道生搾りは固定ファンにリピートしてもらうとして、ドラフトワン(この分野のさきがけ)のシェアはもっと伸びるはずだという、 自信の表れでもある。客観的に見ても、のどごし生よりクオリティでは勝っているからだ。
 この中で、私が思うに、一番危ういのはキリンだろう。 現在好調な第3のビールに注力したいという姿勢は、キリンほどの老舗が取るべき戦術ではない。 やっぱり、ビールを売ってナンボだろう。
 とはいえ、過去に栄華を極めたキリンのビールも、最近では決定打が打てないでいる (チルドビールシリーズが、孤軍奮闘しているが)。 これを尻目に、サントリーにはザ・プレミアムモルツを日本を代表するブランドに育てて欲しいし、 アサヒにはスーパードライのトップシェアを守ることだけに汲々とするのではなく、酵母ナンバーみたいなチャレンジを続けて欲しいと願う。



2006年1月15日
 爆笑問題が司会を務める「人物ライブ・スタメン」というニュースバラエティ(CX系日曜22時〜)で、 格差社会の話題を取り上げていた。

 アンケートによると、「格差社会」と「一億総中流社会」とどちらがいいですか?という問いに対して、 ほぼ半々の支持らしい。世論は割れているということである。スタジオでも、出演者が見事に半々に割れていた。
 経団連の奥田会長が、「最近、勝ち組・負け組などということが流行っているが、 ある程度の差がつくのは当たり前のことで、あまりそれを言い立てるべきではない」という類の発言をしていたが、 これこそ無神経な発言の典型であると、私は思った。
 私は常日頃、勝ち組・負け組などという流行語は、最も薄汚い言葉だ、と主張しているが、 奥田氏の発言は、私の主旨とは180度異なる。
 差が出るのは当たり前だから騒ぐな、というのは、まさに自分が勝ち組だと自覚している人間の 無神経かつ横暴な発言である。勝ち組・負け組などという言葉が流行ること自体、忌み嫌うべき事だが、 それを騒ぐなというのは、もっとイヤらしい発想である。

 番組では、匿名を条件に、公認会計士で会社をいくつも経営しているという男性が出ていた。 1600万もする高級外車に乗り、年収は6000万を超えているという。
 彼は、「頑張れない人は救う必要があるが、頑張らない人は救う必要はない」と言い、 ニートの9割は頑張ってない人たちだから、救わなくてもいいと言う。 自分は頑張って社会に貢献しているのだから、報われて当然だ。頑張ってない人は、報われなくて当然だ、とも言っていた。

 私はたいへんムカついた。
 少なくとも顔と名前を出して堂々と言え、と思った。たかだか6000万くらいで、 そんな天下を取ったような言い方をして恥ずかしくないのか、とも思った。
 自分は頑張ったから成功した、と自覚している連中の中には、こういう勘違い野郎が相当いる。
 稼いだ金で外車を乗り回すのは自由だが、それを自分の努力だけで成し遂げたかのような物言いをする人間とは、 少なくとも私は友達にはなりたくない。

 私も、いちおう国家資格を取って独立開業した人間の一人である。 このささやかな夢を実現するために、一時期、それこそ人生のすべてを懸けて努力した。 しかし、今、人並みに生活できているのは、まったく自分の力だけではない。 曲がりなりにも夢を実現できた最大の理由は、LUCKY(幸運)だったからだと思っている。 その幸運とは、周囲に支えられた幸運である。
 その幸運に感謝できなくなったら、人間はおしまいである。
「稼いでない人間のひがみだ」と言われてしまえば、「そのとおりでございます」としか言いようがないが、 私は稼ぐということに、何の重きも置いていない。 収入が成功の証だ、などと発言する人間は、本当のプロではないと思っている。 たかだかお金などというものは、結果としてついてくるものであって、たとえついてこなかったとしても、 人様のお役に立てる仕事を提供できることが、プロとしての証である。
 クライアントに喜んでもらえること、わずかなりとも誰かのお役に立てていること、 そのことに最大の喜びを感じられる人間でありたい。その結果、毎日好きなお酒が飲めて、 こんなくだらないホームページで好きなことを書けているのは、幸運に恵まれているとしか言いようがない。

 よく勝ち組気取りの連中の言う、「頑張った人が報われる社会」というのは、それが本当に実現されるのであれば、 主張自体はまったく正しい。 しかし、格差を手放しで容認していると、実は「頑張っても報われない社会」になるのだ。
 何より、格差が拡大すると、下層に位置する人々は、その絶対に超えられない壁を前にして希望を失い、 努力の芽すら摘まれてしまう。頑張らないヤツは報われなくていい、などと無神経な発言をする輩は、 そうやって自分たちが、多くの人の「頑張る気力」を奪っていることに、気づいていない。だから浅はかだというのだ。

 社会的経済的格差が固定化すると、治安は確実に悪化する。今の自民党の政治家を見ていると、 格差を拡大させ、治安を悪化させ、中国脅威論を唱え、他のアジア諸国とも険悪な関係にもっていき、 国民に不安を煽って、軍備を増強し、憲法を改正し、戦争に参加して、外貨を獲得して、権力者がますます富める社会にもっていきたい という意図があるように思えてならない。

「格差社会」を単純肯定している経済人や政治家を、私はいっさい信用しない。
 このままでは絶対にいけない、と思う。



2006年1月19日
 これからの生き方は・・?

 耐震偽装問題や、ライブドアショックだけでなく、 天災や事故などが多発し、忌まわしいニュースが続いている。 まさに不安だらけの世の中だ。
 そんな中、色んな報道を見ていて、気になることがある。 特に今回のライブドア問題のようなことが起こると、 「回復し始めた景気への悪影響が懸念される」という意見が、必ず出てくること。
 勝ち組・負け組という、私の大嫌いな言葉も言い古されてきた感があるが、 今、勝ち組の勢いを削ぐような出来事は、まるで社会全体にとって悪であるかのような物言いをする人が 少なくないのは、本当に辟易する。景気回復だけが、善なのだろうか。
 再三書いているように、私は、経済効率を優先する小泉内閣のやり方には、まったく賛成できないのだが、 耐震偽装問題にしても、利益や効率を最優先にする社会が生んだ事件ではないのか、と思う。
 最近の風潮では、まじめにコツコツ働くよりも、 いかに効率よく金を動かし、人を出し抜いて儲けて、勝ち組の仲間入りするか、が重要らしい。 しかし、そんな風潮について、ちょっと立ち止まって考えるべき時期に来ているんじゃないだろうか。
 法治国家では、法に触れさえしなければ罪に問われることはないが、 法に触れないぎりぎりのことをやって、それで金を生み出したからといって、それが一体何になるというのだろう。
 今回のライブドア騒動については、改革者への守旧派からの不当なバッシングなんて意見もあるようだ。 しかし私は思う。ただこれまでのルールを打ち破ることだけが改革というのなら、 まるで中身がないではないかと。
 私はこうも思う。

 これからの私たちに必要なことは、明確な将来展望と、ひたむきさではないか、と。

 そうだ。昨今の風潮に、私が大いなる違和感を感じ続けてきたのは、 政治や経済に、明確な将来展望とか、ひたむきさが見えないからなのだ。
 ホリエモンにだって明確な将来展望がある、という意見もあるだろう。 しかし、会社を大きくしたい、金儲けをしたい、という将来展望が、 果たしてどれだけの人を幸せにするだろう。結局、その会社に携わる人たち(経営者、株主、従業員)だけではないのか。 そんなエゴイスティックな社会が、住みやすいというのだろうか。

 重要なのは、どんな人間になりたいのか、どんな社会を望むのか。それを明確に見据えた上で、 ひたむきに歩き続けること。
 自分の利益だけを考えるのではなく、社会が幸せになれるような、言いかえれば、 誰かの役にたてることを最優先に据えた、そんな仕事をひたむきにやってゆきたい。
 そして、そういう努力が真っ当に評価されるような世の中にしてゆかなくてはいけない。 一連の報道を見ていて、私はそんなことを思った。


2006年1月23日
 報道の思想誘導には、注意が必要。

 ついにホリエモンが、逮捕された。今夜はその話題で持ちきりだった。
 もし、疑われているような偽計取引とか、風説の流布だとかが事実だったとすれば、 法を犯した者として、裁きは当然受けなくてはならない。 本人は、違法性の認識はないと繰り返し主張しているみたいだが、 認識があるかどうかは関係ない。事実として法に触れる行為をしたのかどうかだ。

 最近の報道を見ていて、気になることがある。
 ちょっと前までは、ホリエモンを「時代の寵児」としてもてはやす論調が多かったのに、 ライブドアに強制捜査が入るという話が出た頃から、急にホリエモン・バッシングが始まった。
 法を犯した者が咎められるのは当然のことであるが、 それまで褒めそやしていた相手が犯罪に手を染めていたかもしれないとの疑惑が出たとたんに、 「そもそもあのやり方は、法律以前に、倫理的にどうなのか」などという喧伝を始める。 その報道の姿勢には、大きな疑問を感じざるを得ない。
 ライブドアがいわば旧体制に風穴を開けた功績を、小泉改革と重ね合わせて持てはやしていたのに、 不祥事が明るみに出たとたん、「そもそもあのやり方自体が怪しげだった。いつか何か起こすと思っていた」 なんて論調に変わるのは、はっきり言って無定見の極みであろう。

 経済効率優先、弱者無視の小泉改革について、私は以前からたびたび批判してきた。 こんな時代にタイミング良く現れたホリエモンは、小泉・竹中ラインと完全にシンクロしていたし、 それを自分たちの選挙に利用した自民党のやり方は、実にあざとく巧妙であると、私は思ってきた。
 しかし、しかし、である。
 ホリエモンを選挙に担いだ自民党の責任がどうのと、取りざたされているが、 たとえライブドアが法を踏み外していたとしても、自民党が選挙で彼を利用しようとした時には、 よもやそんなことがあろうとは、誰も知らなかったはずである。 ホリエモンを「我が息子」として応援した武部氏や、小泉首相に対して「道義的責任」を追及するというのは、 あまりにもお門違いではないか。
 そんな論理が通用するなら、例えば業務上横領で逮捕された元社員を、悪事を知らずに弟のようにかわいがっていた会社の上司も、 道義的責任を問われることになってしまう。

※怒る余り、上に一旦変なことを書いてしまった。部下がしでかした悪事に、上司が監督責任を問われるのは当然のことである。 本当は次のように書かなくてはいけなかった。
 前の会社で業務上横領をしたのにバレずに辞め、今の会社に転職してきた後に悪事が発覚して逮捕された人間を巡って、 「あんなやつを採用した責任がある」と人事部長が道義的責任を問われるだろうか。 確かに目は節穴かもしれないが、見抜けなかった責任を会社の内部の人間から問われるのはわかるが、 外部の人々から「犯罪者を採用した会社にも責任がある」などと言われる筋合いはないはずである。
 犯罪に関しては、法を犯したかどうかの一点で判断しなくてはいけないのに、 急に倫理とか感情面を持ち出す論調は、絶対におかしい。 その意味で、一部外国のメディアの反応にもあるような、「新参者への不当なバッシング」などという評も、まったくバカげている。 感情的に嫌われているとかいないとか、そんなことはまったく関係ない。 違法行為があったのか、どうなのか。その点だけが、論じられるべきである。

 「お金で買えないものはない」と豪語してきたホリエモンの発言は、はっきり言って私の価値観とは正反対で、 決して好きにはなれなかった。でも、疑惑が浮上したとたんに、彼の生い立ちを根掘り葉掘り放送し、 「子供の頃からちょっと変わった性格だった」なんて分析をしてみせるテレビ局の報道姿勢は、 無定見という以上に、思想誘導の匂いすらして、とっても居心地が悪い。
 メディアには、世論に対する影響力の大きさを、もっと自覚してもらいたい。

2006年1月28日
 それなら話が変わってくる。

 ライブドアが企業買収の際に利用していた投資事業組合に、自民党議員が関与していた疑いが浮上してきた。
 衆議院選挙の際に堀江候補を応援した自民党に対し、道義的責任を問う声が多いが、 私はそれは行き過ぎだと考えてきた。しかし、過去の所業に対して議員が関与していたとなると、 もう「知りませんでした」では済まされない。
 単に郵政民営化に賛成してくれているからという理由で同候補者を応援していたというのも安っぽいが、 党の人間が悪事にも何らかの関与がもしあったならば、その責任は重い。 これから国会の場で、真相が究明されてゆくことを期待する。
 最近、自民党内の空気が変わりつつあるように見える。片山参院幹事長による首相や官房長官に釘を刺す発言などを見ても、 小泉後を見据えた綱引きが始まっているようだ。
 マスコミの論調を見ていると、「ホリエモン的なるもの vs そうでないもの」という単純な二分法が横行している。 罪を犯していたかもしれないとなったとたんに、過去のすべての行動まで否定しにかかる。 いまや、ホリエモン的なるものは、すべて悪であるかのようだ。
 法に反した行為があったとすれば、それはまさに法で裁かれなくてはならない。 しかし、法に触れない部分にまで「倫理的にどうだ」と言い出すのはおかしい。
 そもそも今のこの国に、悪しき二分法が蔓延しているのは、 小泉政権の責任が大きいと言える。改革は善で、それに反するものは悪とする 非常に頭の悪い二項対立(二分法)は、もとをたどればブッシュに行き着く。 正義(アメリカ)につくか、テロリストにつくか、などという、子供じみた発想だ。
 こんなギスギスした世の中では、見えるものも見えなくなってしまいそうだ。 ひとつひとつの事象を冷静に見る目をもった大人になるべきだ。 政治家だけでなく、あなたも私も。


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