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2016年2月3日 本日のwineの記事で、妻がママ友とランチという話を書いたが、お相手は 息子の小・中・高時代の同級生のお母さん。ご近所なので子供の小学校は同じ公立。 中学受験で同じ中高に入り、ずっと同じ学校に通っていた。 その同級生は今も実家で両親と暮らし、昨春からなんと市内の大学に通っている。 我が家は以前にも書いたが、昨春に家を出て、東京で一人暮らしをしている。 自宅から息子を大学に通わせているそのお母さんは、ずっと一緒だと何だか煩わしい、 疲れると言っていたそうだ。 突然家から息子がいなくなった我が家からすると、 羨ましいような話ではあるが、いなくなれば寂しい、一緒にいると煩わしいというのが、 本音なのかもしれない。だいたい、もう19歳にもなるのだから、 子供というよりは、大人の同居人と言ったほうがいい。 自宅通学の大学生ならば、家に帰ればご飯はできている。洗濯もしてもらえる。 何より家賃はかからない。バイトをすれば、全部自分の遊びに使える・・と、 恵まれている。親と一緒に暮らすことが煩わしくなければ、 こんなにありがたい環境もないだろう。 一方、そういう環境をあえて捨てて家を出て行った我が家の息子のように、 一人の自由を選択する若者というのは、昔に比べて少なくなったようだ。 私としては、我が子がそういう自立の道(経済的には自立していないが)を選んだことは 良いことだと思っており、それをさせてあげるのが親の勤めだとも思っている。 だが、やはり寂しいという気持ちは、なかなか消えない。 毎日大学生の子供たちが家にいてうっとうしい、一人暮らしをしてくれればいいのに、などという話を聞くにつれ、 隣の芝生は青く見えるのだなあと、つくづく思う。 高市早苗総務大臣が8日の衆院予算委員会で、放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返した場合、 放送法第4条を理由として電波停止を命じる可能性があると述べた。 民主党・奥野議員が「政権に批判的な番組を流しただけで業務停止が起こりうるのではないか」 と問い質したのに対し、「電波法76条の規定もある」とし、「違反した場合は罰則規定も用意されている ことで実効性を担保すると考えている」とした。
高市大臣は、「政治的な公平性を欠く」事例として、「国論を二分する政治課題で一方の政治的見解を取り上げず、 ことさらに他の見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当時間にわたり繰り返す番組を放送した場合」 などを列挙した。 これに対し、放送事業者は一斉に反発。 新聞によると、ある民放関係者は「公平性を判断するのが大臣であり政権であるなら、 それは政権による言論統制だ」とし、別の関係者も「威圧的に脅しているんだろうが、 あまりにも現実性がなく論評に値しない」と話している。 放送事業者のこれらの意見は至極真っ当なものであり、 放送内容に大臣や政権が口を出し、停波という脅しをかけて従わせようとするなどは、およそ民主国家のすることではない。 現政権応援団は、おそらく一様にこう言うだろう。「政治的な公平性をまもることこそが民主主義なのだから、 偏った放送は正さなければならない」と。 だが、そこには根本的かつ決定的な間違いがある。 放送法等の規定は、戦時中の大本営発表などに対する反省から生まれたもので、 国が言論封殺をすることがないように、報道の自由をまもることが第一の目的である。 国民は、誰であっても政府に対する批判的な発言をすることを許されているのであって、 権力者には、それを甘受する義務がある。 法律を作る国会や、それを遂行する内閣に対し、圧倒的に弱い立場にある一般国民のこのような 自由がまもられてこそ、ようやく対等な関係が実現するのだ。 何をどう放送するかは放送事業者の自由なのであって、そこに権力側が口を出すことなどあってはならない。
法律の専門家によると、放送法第4条の規定は放送事業者の努力規定と解されているといい、
これを盾に権力者が適否を判断するなどあってはならないとする。 放送局まで自分たちの言いなりにさせようという、そんなとんでもない企てが通ってしまうなら、 それはもう、彼らの忌み嫌う中国や北朝鮮と同じような国家になることを意味する。 HOME 利酒日記のメニューページへ 前月の時事ネタコラム 翌月の時事ネタコラム このページは、K氏の葡萄酒的日常 ・利酒日記の別室で、WEBマスターが時事問題などについて、 勝手気ままに書き綴るページです。 建設的なご意見、反論等はwelcomeですが(メールでどうぞ)、一方的な誹謗中傷は受け付けておりません。あしからず。
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