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愛・地球博の思い出

 No.1:「万博に行きたい」

 「2005年は万博の年。」

 そう初めて意識したのは、確か2004年の秋頃だったろうか。

 1970年の大阪万博の頃は、私はまだ子供で、関西とは遠く離れたところに住んでいたため、 一度も訪問しないまま終わった。
 筑波科学博には、1回だけ行った。
 大阪花博の頃は既に大阪にいたため、当時勤めていた会社の関係で、確か6回ほど会場に足を運んだ記憶がある。

 ただ、大阪花博はひたすら乗り物(ジェットコースターなど)に乗ることに夢中になっていて(私も若かった)、 パビリオンを見た記憶がほとんどない。だから、今度の万博は、しっかりと記憶に刻まれるような体験をしたい。 そう、漠然と考えていた。

 くしくも我が子が生まれて初めての万博である。小学生の息子には、 実は開幕前からひそかに心に期するものがあったらしい。

 2005年3月25日。
 愛知万博「愛・地球博」開幕の日。TVでは、朝から特別番組が放送されていた。
 その番組をビデオに撮り、一生懸命見ていた息子。マンモスとか、ロボットとか、観覧車とかよりも、 彼が一番興味を持っていたのは、リニアモーターカーだ。
 電車が好きで、幼児の頃はプラレールでよく遊んだ。最近では、本格的な鉄道模型(Nゲージ)に心酔している。 新幹線とか、在来線特急とか、貨物列車とか、何編成も持っている。もちろん一緒になって、喜んで買い与えているのは、親の私なのだが。

 万博に行ったら、JR東海・超伝導リニア館を見たい。 しかも、会場までは、リニアモーターで浮上走行する「リニモ」に乗って。それが、息子の最大の目的だった。

 私はまだこの頃は、会期中に1回でも行ければ、それでいいと思っていた。いつ行こうという具体的な計画もなかった。 ただ、ゴールデンウイークだけは避けよう、と考え、5月下旬か6月くらいにしようかと話していた。
 ちょうどその頃、加入しているカード会社で、前売券の残りを安く提供していた。大人4,600円のところ、 なんと3,600円。早速チケットだけは、確保しておいた。

 公式ガイドブックは重いので、ハンディブックのほうを買った。アクセスマップも買った。 いよいよ我が家族が万博モードに突入した、2005年4月。

(2005年11月5日記す)


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