時事ネタコラムのページ [利酒日記別室]

2009年11月


2009年11月1日
 増税に、賛成


 政府民主党が、やはり、財源不足に苦しんでいる。

 「無駄を排除することによって、マニフェストを実行すると言っていたのに、 国債を発行して充てるなんて、公約違反だ」という厳しい声が上がっている。 もちろん、そう責められて仕方ない部分もあるが、国債を増発せずに、あるいは増税をせずに 全部を完璧に実行するなんて最初から無理なのは、カマトトでもあるまいし、わかっていたはずだ。 無論、無駄の洗い出しは、どんどん進めてもらわないと困るが。

 今日のコラムは、いささかセンセーショナルなタイトルとなってしまったが、 私が賛成なのは、首相が口にした、たばこ税の増税である。

 「たばこの販売価格が上がれば、国民の健康増進にも資する」なんて、きれいごとを言う人もあるが、 私はそんなふうには思わない。 吸いたい人は勝手に吸って、勝手に寿命を縮めればいい(副流煙による他者への加害の問題があるので、 勝手に吸っていいなどとは、実は言えないのだけれど)。

 私が増税に賛成するのは、 たばこのような、生活必需品ではない嗜好品にこそ、重税を課すべきと思うからだ。

 「いや、喫煙者にとっては、たばこは無くてはならない必需品だ」という反論がありそうだが、 たばこが必需品になっているような人は、ニコチン中毒なのだから、すぐに医者に行くべきなのである。

 実は、私はたばこを吸わない。私がたばこを吸わない人間だから、こんなことを主張すると思われても心外だから、 もう一言付け加えると、たばこだけではなく、酒税も大幅に増税すべきであると、私は考えている。 理由はたばこと同じである。酒も嗜好品だからだ(必需品だという人は、アル中だから、同じように医者に行くべきである)。

 wine好きは、例えば1本2,000円が倍の4,000円になったとしても、 何とか工面をして飲むに違いない。飲む量を半分に減らすか、間隔を倍に広げればいいのであって、 たぶん私はそうすると思う。 なんなら缶ビールが1本500円だっていい。

 ドンペリが倍の値段になったって、叶姉妹は自宅で変わらず飲み続けるだろうし、 ヘネシーが倍の値段になったって、みのもんたは高級ラウンジ通いをやめないだろう。 そういうところから、たくさん税金を頂けば、いいのである。

 確かにお酒は、毎日の生活における潤滑油的な役割があるのかもしれない。しかし、 私がこうやって毎日何らかのお酒を飲んで、このサイトを更新し続けているのも、 言ってみれば、単なるくだらない趣味に過ぎないのである。 これがなくても、他に打ちこむべきことは、山ほどある。 酒を取られたからといって、死ぬわけではないのだ(いや、むしろ寿命は延びるだろう・・)。

 「酒税を増税だなんて、庶民のささやかな楽しみを奪うのか」とのお叱りの声も聞こえてきそうだが、 楽しみを持てる程度の庶民は、少し我慢をお願いしたい。失業して、生活もままならない 人たちが、今この国にはたくさんいるのだから。

 民主党は、当面の消費税増税は否定しているからその心配はないとは思うが、 消費税のような逆進性のある間接税を増税して、生活困窮者をさらにいじめるような 政治だけは、もうまっぴらである。それなら、趣味にお金を注ぎ込める程度の余裕のある層から、徴収して欲しい。

 というわけで、当サイトは、酒税の増税を提言します。


2009年11月3日
 続・増税論


 1日付けで書いた「
増税に、賛成」に対して、 当サイトの常連訪問者のお一人から、ご指摘があった。 それは、アルコールというだけで直ちに"嗜好品"として、一律に増税するのはどうか、というものである。

 ご承知のとおり、当コーナーでは、時折感情的になるあまり、やや論理性を欠く記述をしてしまうことがある。 今回もそういったところがあった。

 私の真意は、人間の生存に直ちに必要ではない"嗜好品"のようなものにお金を払えるような人から、 より多く徴税すべきということである。

 アルコール飲料が、基本的にすべて"嗜好品"であるのは間違いではないから、 野菜、魚、肉、米などの食料よりも多く税金をかけても良いとの意図であるが、 アルコール飲料の中でも、より価格の高いものに多くの税金をかけるべきだと、私は考えている。 だから、例えばビールや発泡酒の税金は下げ、高級ワインやブランデーなどからは、 もっとたくさん税金を取ればいい。 極論すれば、5,000円のワインが10,000円になったってかまわない。 5,000円のワインを買える余裕のある人には、たくさん税金を払ってもらえばいい。

 販売量の多いものや、取りやすいところからより多く取るというのが、 効率よく税収アップするための基本なのかもしれないが、 モノの売れない時代にあっては、考え方を根本から変えてみる必要があるのだ。

 当サイトでずっと批判してきた、従来の大企業&金持ち優遇経済政策から、 ようやく政権交代によって、方向転換が図られる兆しが出てきた。 お金持ちに使ってもらわないと、全体として消費が伸びないから、 結局国民全体につけが回るというのが、竹中平蔵氏らが推進した政策を支持する人たちの言い分だが、 その正論をいいことに、一般庶民が踏みにじられても仕方ないとする、愛も慈悲もない政治には、 私は大反対だ。

 経済には、人の気持ちやムードが実は大切であることは、 近年の「行動経済学」などによって、大きくクローズアップされている。 マス層である普通の庶民が、心おきなく財布のひもを緩めるのは、 将来に対する不安が少しでも払拭され、自分たちが大事に守られているという安心感があればこそである。 そういう意味で、生活に不可欠なものの税負担は軽く、嗜好品には重く税金をかけよというのが、私の主張なのである。

 ところで、最近話題に上ることの多い「子ども手当」について、 所得制限を設けず、高額所得者にも支給するのは納得がいかない、という声が多い。

 だが、事はそう簡単ではないことに、気づかなければいけない。 つまり、同じ500万の年収でも、子どもが1人の世帯は楽に生活ができても、 子どもが5人いる世帯では、かなり苦しいはずである。 どこかで線引きをするということは、必ずその境目で、泣く人と笑う人が出てくる。

 だから、より好ましい解決策は、次のような算式を用いて、 所得が少ないほど多く、子どもが多いほど多く支給されるようにすることである。

 子ども手当支給額 = 基準所得額×支給基礎額×世帯所得の逆数×子どもの人数
 例えば基準所得額を300万円、支給基礎額を26,000円とすると、 世帯所得が300万で子ども1人の世帯は支給額26,000円となり、 世帯所得が600万で子ども2人の世帯も同じ26,000円となる。 ただこれでは、相当な高額所得世帯にもかなり支給されてしまうので、 例えば下式のようにしてもいい。

 子ども手当支給額 = 基準所得額の2乗×支給基礎額×世帯所得の2乗の逆数×子どもの人数
 この場合、世帯所得が300万で子ども1人の世帯は支給額26,000円と変わらず。 世帯所得が600万で子ども2人の世帯の支給額は13,000円となる。反対に、世帯所得が250万で子ども1人の世帯には、 37,440円が支給される。 この算式では、所得が多くなると、加速度的に支給額は減少するわけだ。 そして更に、上式で算定した結果、支給額が5,000円未満となる場合には支給しないなどの 制限を設けてもよい。すると、子ども1人だと、世帯所得が6,841,053円を上回ると支給されないこととなるが、 このあたりで線を引くのであれば、弊害は少ないだろう。

 上記は単なる思いつきで、もっと良い案はあると思うが、子どもの人数に関係なく所得のどこかでスパッと線を引くというのではなく、 所得と子どもの人数をパラメータにして、なだらかに支給額が変化するような算式を用いるべきである。 支給額がバラバラだと、必要なコストが増大するという指摘があるかもしれないが、そもそも所得税の計算なども 非常にややこしいのだから、これは大した問題ではないように思う。

 話が逸れてしまったが、お酒を飲める程度の家庭には、それなりの負担をして欲しい。 より高いお酒を飲める家庭には、より多くの負担をして欲しいというのが、私の真意である。


2009年11月8日
 続・続・増税論


 先日から書いている、増税論議。

 たばこ税増税の正当性について、長妻厚労相らは、先進諸外国におけるたばこの販売価格の高さを例に挙げ、 日本でのたばこの価格はまだ相当に安いから、上げてもいいのだといった論陣を張ろうとしている。

 この国際比較ってやつ。税金の話題になると、よく登場してくる。 最近めっきり影が薄くなった経団連などが、日本は諸外国に比べて法人税率が高すぎる云々と、かねてから 主張している類である。

 この国際比較が出てくると、まゆつばだと、私は感じている。

 例えばアメリカでは、たばこ1箱は平均10ドル以上もしているから、日本でも1,000円以上にしたって いいんだという議論は、いささか乱暴である。
 為替レートが、その時々の両国間の経済力格差を正しく表しているとは限らない。 だから今の為替レートで換算して比較しても万全ではない、という根本的な問題ももちろんある。 だが、それ以上に、各国における国民の消費行動というのは、 それまでその消費財が、一国経済においてどのような価格体系の中にあり、 それによって消費量がどの程度あって、どれほどの税収をもたらしているかという現状認識がまず必要である。

 たばこが安いか高いかというのは、現時点で諸外国と比べるだけで論じられるものではなく、 国内においてこれまで他の消費財との相対価格がどうであったかという視点が必要なのである。

 税金は「取りやすいところから取る」のではなく、 「取るべきところから取る」という姿勢が重要。その意味で、私が続けて主張しているように、 生活必需品ではない嗜好品から優先的に取るという方向性は、正しい。

 だから、「諸外国と比べて」云々という、 素人を言いくるめようとする「経済学的な」衣をまぶしたまやかしはダメである。 諸外国と比べていかに安かろうが、多くの国民にとって、それが不可欠なものであるなら、 値段は安く据え置くべきであろう。

 私はたばこ増税には賛成であるが、今の民主党の説明の仕方は、まったくなっていないと思う。 二言目には「国民の健康」(*注)などと言っているのも、実に空々しい。

 *注:国が「国民の健康増進」などと言うとき、べつに皆の長寿を願っているわけではなく、 国民が病気をしなくなれば、医療費が抑制できるという、その利点のみを考えているのだ。 厚生労働大臣が、あなたの長寿を祈っているわけではないので、勘違いしないように。 いやまあ、長妻さんは、十分誠実な政治家だとは思うけれども・・。


2009年11月18日
 不気味な「心の押し売り」は、廃止に


 「事業仕分け」4日目の16日に、予算を大きく削減すべきとされたものの1つに、 「道徳教育総合支援事業」がある。概算要求額10億円に対し、 33〜50%削減すべしということだ。

 この事業は、私がかねがね廃止すべきと考えてきた「心のノート」を 小中学生に配布するものである。 印刷・製本して配布の形式から、ネット配信に 変更される見通しとのことだが、この際、ぜひ全廃してほしい。

 「心のノート」とは、2002年度から約11億円の予算をかけて、 全国の小中学生に道徳教育の教材として配られているものであるが、 教科書ではないため、検定も受けずに、作成されたそのまま教育現場に配布されているもの。

 今回の事業仕分けで、仕分け人の一人である藤原和博・東京学芸大学客員教授が、 この「心のノート」の内容を、 教条主義、押しつけで、非常に気持ちが悪いと、激しい口調で指摘した。

 中身をご存じない方にちょっと紹介すると、例えば 「育てていきたい、良心に恥じない誇りある生き方」として、 妬み、虚栄、傲慢などを「心の悪玉」、謙虚、誇り、克己などを「心の善玉」と単純に二分したうえで、 「あなたが目指す生き方を書いてみよう」と、各自にこのノートへの書き込みを促す。

 上記はほんの一例だが、他にも「ありがとうって言えますか?」という問いかけに 「はい」「いいえ」のどちらかを選ばせるなど、単純に善悪を分け、 各自が思うところをこのノートに書込み、常に身近において生きることを考えさせよう というしくみで成り立っている。

 ここまで読んでいただいて、単純に「それは良いことではないか」と感じた方には、 私の意見は響かないかもしれない。それはそれでいい。考え方が違うのだから。 だが、私は、このような単純な二分法ほど危険なものはなく、 善悪の二分法に囚われた"単純でいい人たち"が、世の中をぎすぎすした排他的なものにし、 いさかいや差別の絶えない世界を作り上げているのだと思っている。

 この「心のノート」は、安倍内閣のもとで推進されたいわば新国家主義に従い、 導入されたものである。 ここには、家族のあるべき姿として、人間性あふれる父と母がいて、 その両親を敬う子供たちがいるという、紙芝居のような家族像が描かれている。 現実の社会の多様性とか、様々な事情などは一切考慮されていない。 そういう単純な、美しい家庭、美しい国という一種の「宗教」が根底にあるようだ。
 お父さん、お母さんを敬いなさいと言われて、お父さんやお母さんがいない子供たちは、 一体どう思うのだろうか。そんな単純なことにも気づかず、いや意図的に無視されて、 温かい家族像が理想とされている。これは非常に気持ちが悪い。

 このような"良き形"を上から強制すれば、良い子どもが育つなどと執筆者たちが真剣に思っていたとしたら、 それは相当にオメデタイとしか言いようがない。

 案の定、今回の予算削減に対しては、 「左派は当たり前の道徳をつぶそうとする」とか、「日教組の陰謀」、 「常識をつぶして日本を貶めるつもりか」などと言った意見が、ネット上でも踊っているようである。 ひどいのは、これまで「心のノート」を読んだこともなく、存在もよく知らなかったのに、 少しだけ読んでみて、今回の判断を批判するような人もいるのだ (そういうブログにここでリンクを貼ろうかとも思ったが、誹謗中傷と取られて要らぬ攻撃を受けても 鬱陶しいので、やめることにする)。

 「当たり前」とか「常識」などという言葉は、 相手の意見を無視して自分たちの思想を押しつけようとする者たちの常套句である。 何が当たり前で、何が常識かは、発言者個人の感覚なのである。 目上の者を敬えと強制し、この国を愛せと強制すれば、どんな社会になるか。 それでうまくいくと思っている人は、たぶん自分の子どもにも蕩々と道徳観を説き、 その単一の「常識」に従わせ、見かけ上"よい子"を育ててご満悦なのだろう。

 そんなものは教育ではないし、人間形成ではないというのが、私の考え方である。 人はそれぞれ生まれ育った環境も違い、価値観も違う。 一律に「常識」を押しつけ、「あるべき」方向に導くような教条主義ではなく、 違う価値観や立場を認め合い、排斥しないで受け入れ、許容し合うことでこそ、 他人への尊敬の念とか、協力し合う喜びは生まれる。 年長者が押しつけるのではなく、自ら生き方を考え、自分で未来を切り開ける人間となって欲しい。 他者を異質として排斥することなく、それぞれのバックボーンを尊重し合った真の国際人となる。 私が我が子に望むのは、そういう人間像だ。

 戦後教育で自由を推進したから少年犯罪が増えているといった、事実に基づかない感情論が、 多くの人を洗脳し続けていることは大変に危険である。 少年犯罪は事実として増えてはいない(未成年者の犯罪検挙数はむしろ一貫して減っている)のだ。

 このような形の押しつけこそがぎすぎすした社会を生み、弱い者、恵まれない者を平気で踏みにじり、 差別を助長することになる。「差別はいけない」とのお経を唱えていれば差別がなくなるわけではない。 差別などこの世に存在しないかのような清らかな世界観を押しつけることは、現実の社会の一部を 無視し、排斥する冒涜だと知るべきである。

 誤解していただきたくないのは、何も私が道徳観を育てることを否定しているのではないということ。 道徳観を育むことは大切である。

 私の考える真の道徳とは、 人はそれぞれ皆違うから、お互いを許し、認め合うことによって 真の信頼関係は生まれ、懐の広い人間関係が構築されるというもの。 人間とは他者から認められ、許されることで自己を確立し、 他者を敬う心が生まれるものだからである。 心理学を少しでも学んだことのある人ならば、言うまでもないことではないだろうか。

 「心のノート」への批判は、今回の藤原氏がもちろん初めてなのではない。 このようなものが一方的に子供たちに配布され、それがどのような内容で、 どんな効果をもたらすか。教育現場で教師たちの困惑はいかばかりのものか。

 特にお子さんをお持ちの方々には、この問題をわかりやすくまとめた下記書籍を お奨めします。

「心のノート」の方へは行かない
 岩川直樹・船橋一男編著、寺子屋新書、2004年


2009年11月25日
 記号にこだわる人と、そうでない人の違いか


 自民党大阪府議団が、府の施設に常に日の丸を掲げるように定める「国旗掲揚条例案」 を、定例府議会に提出する方針を決めた。府知事も後押ししているらしい。

 府の施設すべてということで、府立高校なども含まれることになるのだが、 内閣府によると、都道府県で学校への国旗の常時掲揚を定める条例はこれまで聞いたことがないという。

 条例案では、第1条でその目的を「国を愛する府民の意識の高揚と次代を担う子どもたちの国際感覚の収得に寄与する」 と謳っているらしい。

 自民党が言い出しそうなこと、と言えばそれまでだが、 いったい何がしたいんだ?と言いたくなる。

 国旗とは、いわば記号学でいうところの国の記号だと思うのだが、 記号は単なる象徴であって、そこにどんな思いを寄せるかは、人それぞれである。

 国旗に「国を愛する気持ち」を寄せるのは自由である。また、そのような意識は当然、尊重されなければならない。 但し、それは自発的に行われるべきものであって、ルールで縛るようなものでは、断じてないはずである。 国旗を常時掲揚することが、子供たちの国際感覚を養うことになると考えるのは自由だが、 私はそうは思わない。

 思うに、記号を必要以上に大切にしようとする人は、 記号がなければ自己の存在意義を確認することができない人なのではないだろうか。

 よく、人から名前を間違えられたといって、怒る人がいるが、 私はあの感覚がよくわからない。

 私自身、よく名前を間違えられる。 姓(Last name)を読み間違えられ、名(First name)を書き間違えられる。 あまりに頻繁に起こるので、いちいち訂正もしない。それで腹も立たないし、 読み間違えられたら、ふりがなをつけなかったこちらが悪いのだと思う (そもそも私は、自分に降りかかってきたことは、すべからく自分が悪いのだと 考えるタチでもある)。

 名前を間違えられたからといって、それで人格を踏みにじられたわけでも、 罵られたわけでもない。単なる軽いミステイクである。それを咎めようなんて思わない。

 笑ってしまうのは、「いばらじゃない、いばらだ!」なんてこだわる人もいて、 自分の古里がけがされたような気分にでもなるんだろうか。 私は、自分の名前、家族の名前、出身地、職業・・・等を間違えられても、 べつに何とも思わないから、そのようなことにこだわる人を見ると、笑ってしまうのだ。

 国旗は国のアイデンティティだから大切にせよ、なんてことを強弁されると、 同じように笑ってしまう。そんなことでしか、自分の存在証明ができないのか。

 もちろん、国旗を大切にすることは美しい行為であるし、それを否定なんてしない。 だが、なぜそれをルール化しようとしたり、人に強制しようとするのだろう。 意図が別のところにあるとしか思えないのだ。

 件の条例については、府議会各会派の間でも賛否が割れているといい、 通るかどうかは微妙という。

 このような条例案を提出した人たちは、それがたぶん気持ちのいいことなのだろう。 もし可決に至ったりしたら、相当鼻息を荒くするのだろう。それを想像すると、また笑ってしまう。 単なる自慰行為ですな。

 府立高校にも強制されるらしいが、こんなこともあろうかと、 私は子どもを私立に行かせているから、直接的には関係ない。

 私は、自分の子どもには、「自国のことのみに専心して他国を無視してはならない」(日本国憲法前文) という原則を大切にする人間に育ってもらいたい。


2009年11月26日
 2000日分の感謝と、これからのこと


 当サイトは、2004年6月6日から毎日無欠勤で更新を重ね、本日めでたく2000日を迎えました。
 いつも見に来てくださる皆さまに、改めて感謝を申し上げたいと思います。

 約5年半という時間が流れました。それを実感するのは、 2004年にはまだ小学2年生だった我が子が、今は中学1年生になったという事実です。 自営業(自由業)である私は、毎日の仕事はほとんど変わっていないのですが、 子どもの成長を見るにつけ、確実に時間は経っているということを、実感します。

 5年半もの間、同じ趣味を続けてこられたことに、感謝せずにはいられません。 ただ単に好きなお酒を飲み続けるだけならば、少しのお金さえあれば可能です。 しかし、毎日サイトを更新するというのは、 楽しみに待っていてくださる方々がいるからこそ、できたことです。

 再三書いていますが、当サイトには、自腹を切ってまで現物を提供してくださるサポーター (私は、救世主と呼んでいます)がいます。 他人のHPの充実のために、どうしてそこまでしてくださるのか。 殺伐とした事件も多いこの世の中で、そういう方が複数いらっしゃったという事実には、 「感動」以外の言葉をみつけられません。

 他方、このようなサイトをやっていると、 一方的な質問や意見を投げかけてくるだけで、こちらから返答をしても、 それ以後、なしのつぶてという方も非常に多くいます。 メールをくださる方の過半数はそんな人だと言ってもいいでしょう。

 私も自分が運営を始めるまでは、 閲覧者の多いサイトを運営されている方々は、とても遠い存在に感じられて、 メールを送ることすらためらっていました。 勇気を出してメールを送り、返事が返ってきたとしても、 それ以後双方向のやり取りをするのには、とても気が引けるという体験をしています。 人気サイトの運営者が、まるで有名人のように感じられたからでした。

 良心的に解釈すれば、当サイトも今やそのような存在として認知していただけるまでになった ということなのでしょう。 実際、頂いたメールに返信すると、とても感激してくださる方がいます。

 私も一人の普通の無名な一般人です。 いや、冴えないただのオジサンです。いつも見ていますと言われれば、純粋にうれしいですし、 そのような方々とは、普通にメールのやり取りをしたいと思っています。 ぜひともお気軽にご意見とか、ご感想をお聞かせ頂きたいと思います。

 2000日を達成したことで、「次は3000日ですね」という声も聞こえてきます。 ですが、あえて言わせてもらいます。もう今は、これ以上の継続へのこだわりは、ありません。

 この5年半というもの、仕事やプライベートで、泊まりがけで出掛けるときは、 PCを持参するのはもちろんのこと、宿泊するホテルにはインターネット回線の接続サービスはあるか 必ず事前に確認し、あるとしても、もしもの場合に備えて、携帯電話からでもネット接続できるように準備をして、 出掛けていました。あるいは、出掛けるのが午後だと、その日の分を更新してから出掛けるようにしていました。

 そのプレッシャーは、今ではもう一種の快感ですらあるのですが、 私の性格上、どこかで意図的に切らないと、永遠に続けなくてはならないという足かせを、 自分にはめてしまうことになります。 私の大好きな、阪神タイガースの金本知憲選手が、連続フルイニング出場を続けている のに似ていると言ったら、言い過ぎでしょうか。

 だから、明日からは、もう連続更新にはこだわらないようにしたい。 そうは言っても、ストップする合理的な理由もみつからないので、 当分の間は、続いてしまうと思います。 連続更新よりもこだわりたいのが、ビールや缶チューハイの新製品を完全制覇すること。 ここまでタイムリーに新製品をレビューしているサイトは他にはないと、自負しています。 その結果、毎日更新せざるを得ない状況となっているのです。

 ネット上だけでなく、リアル世界の私のことをご存知の方々からは、 「よくそんなにお金と体が続きますね」という言葉を頂きます。 金銭面を言えば、ゴルフも麻雀もしない、ギャンブルも一切しない、車にも乗らない、外に飲みに行くのも、 夜の色っぽい所もあんまり好きではない・・という私ですから、可能なのかもしれません (と言いながら、外食と喫茶店巡りと歌うことと文房具集めと鉄道関係が好きで、 何より本のない生活は考えられないタチではありますが)。 体調の面では、幸いなことに今のところ大きな病気もせず、毎日食事がおいしいですが、 年齢を考えると、自重しなくてはならないかと、最近思います。

 そしてこれも良く言われることですが、「アンタみたいな勝手な旦那を許している、奥さんが偉い」と。 その通りだと思います。それにはまったく反論はありません。

 これからは、もうちょっと力を抜いて、行ける所まで行こうと思います。

 2222日まで続けるというのも、面白いかもしれませんね。

 あっ、目標を設定してしまいました。



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 このページは、K氏の葡萄酒的日常利酒日記の別室で、WEBマスターが時事問題などについて、 勝手気ままに書き綴るページです。
 建設的な反論等はwelcomeですが、一方的な抗議のメールなどは受け付けておりません。あしからず。