時事ネタコラムのページ [利酒日記別室] 2011年2月
2011年2月14日 新聞とテレビ 電子書籍が普及し始めた。 私はまったく興味はないのだが、電車の中などで読んでいる人を、たまに見かける。 なぜ興味がないかといえば、本好きならば共感いただけると思うが、 書店で本を選ぶときの胸の高鳴り、魅惑の紙の匂い、手にしたときの厚みの嬉しさ、書棚に背表紙が並ぶ喜びなど、 紙の本でなければ、読書の醍醐味の多くを味わえないと思うからだ。 とはいえ、これまで読書習慣のなかった人達が、電子書籍なら読んでみたいと思うのなら、 裾野を広げるという意味において、存在意義はあろう。 CMなどでも宣伝されているが、海外生活をしている人でも、自動配信される日本の新聞を読めるという メリットがある。これは確かに、ありがたい。そういう部分を拡張してもらえれば、 もっと普及する可能性はある。 新聞のネット配信で思い出すのは、 日本のTV放送をネットで遠隔地に送るサービスが、最高裁で違法とされたニュースだ (最高裁の判決文は、こちら)。 ソニー社のロケーションフリーテレビ受信機を利用した 「まねきTV」というサービスを提供する(株)永野商店 に対して、NHKと在京民放テレビ局5社がサービスの停止と損害賠償を求めた訴訟。 訴えが退けられた知財高裁の判決を不服としたテレビ局側が上告したものである。 新聞社は積極的にコンテンツを海外にも配信しようとしているのに、テレビ局は放送が広まることを拒絶する。 この違いは、何か。テレビ放送は、地域放送が原則となっているからだ。 地域免許制となっていることで、零細地方局の存続が助けられている。もし、どの放送局の放送も 地域の区別なく視聴できるとなると、貧弱なコンテンツしか持っていない地方局は、つぶれてしまう。 その業界全体を今のまま温存するには、地域免許制を堅持しなくてはならない。その一心で、 テレビ局側は、地域の壁が崩されることを、拒絶する。 地デジ化に伴い、区域外再送信をことごとくつぶそうとしている姿勢も、理由はこれと同じだ。 まったく視聴者不在の論理で、到底容認されるものではない。 ここ数年、自由競争が最良の価値として、政治主導で賞賛されてきたこの国では珍しい、既得権益の強固な保護態勢である。 それを、司法が認める格好になった。許し難い判決だ。 私は、何でも競争させろ、弱い者は退場しろという論理には、賛成しない。 地方放送局には多くの社員がいて、生活がある。それを無視しろとも言わない。だが、 消費者たる視聴者の利益を踏みにじってまで、特定業界の利益を擁護すべきとも思わない。 視聴者の利益を最大限追求しつつ、業界の存続も図る方策はないものか。 放送業界のビジネスモデルそのものを、変える必要があると思うが、いかがか。 こんなことをしていると、瀕死と言われる出版業界よりも早く、放送業界全体が、ダメになってしまう。
2011年2月19日 自分の生活が第一。 どうせわかっていたことだが、しょせん政治家なんて、どいつもこいつも自分のことしか考えていない。 民主党の小沢氏に近い議員16名が反旗を翻して話題となっている。 べつに私は小沢氏を擁護しようとも思わないが、一方で、とにかく小沢を排除しろという世論にも同調しない。 事実上、もう過去の人である。そんなことに振り回されて、 いやむしろそれを政治的に利用している与党も野党も、結局、皆自分のことしか考えていないのだと、 心底うんざりする。 今回の16名も、大義をかざしながら、その実、次の選挙で受かりそうもない自分の身を案じ、 一か八か大芝居に打って出た、としか見えない。 野党、特に自民党の「解散せよ」一辺倒の姿勢にも、本当に腹が立つ。政権を奪還したいのはもちろんわかるが、 政権奪還だけが目標のすべてだと、自ら示してしまっている。 彼らの頭の中に、国民生活のことなど、微塵もないようだ。 民主党政権が素人政権ということは、最初からわかっていたこと。 そのつたなさの中から、少しでも歩みを進めてもらわないと、本当に国民生活が混迷に陥れられる。 自公政権に戻れば、何か良い方向にでも行くのか? ダメだから見限られたのだろう。 今さら、再度政権の座に戻ろうという姿勢を、私はまったく支持できない。 さりとて民主党も手放しで支持できないから、悲しい。 さらにいえば、大阪や名古屋で起こっている新しい流れに賛同できるか?というと、 まったく賛同できない。 民衆の圧倒的支持を得て起こった新しい流れは、やがて独裁政治と姿を変える。それは歴史が証明していること。 私が地元の府知事をまったく支持できないことは、当ページで再三書いてきているが、 それは彼が危険な独裁者であるからだ。府を都にして、政令市を解体して、司令塔を一つにするなんて発想は、 いかにも権力志向の人間が考えそうなことである。選挙に勝てば何をやってもいいなんて、 本気で思っているとしたら、狂気の沙汰である。 もう、劇を見ているように、他人事としてこれらの政治状況を楽しむくらいしか、 我々にできることはないのだろうか。