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2012年5月


2012年5月8日
 本性の一端


 全国にはあまり報じられていないニュースだと思うので、記しておきたい。

 大阪維新の会・大阪市議団が、5月議会での提案を目指していた「家庭教育支援条例案」について、 提出方針を撤回した。

 新聞報道によるとこの条例案は、「親になるための学び」が必要との立場から、 家庭教育の支援や伝統的子育ての推進を主張するものだという。

 これに対し、保護者や専門家から「非科学的」「偏見を助長する」と批判されたため、 撤回せざるを得なくなったという。

 どこが問題かといえば、次の条例案を見て頂ければ、一目瞭然である。

 大阪市 家庭教育支援条例案 (大阪維新の会が提出を画策したものの撤回)

 第15条 乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され、 また、それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる

 第18条 わが国の伝統的子育てによって(発達障害は)予防、防止できるものであり、 こうした子育ての知恵を学習する機会を親およびこれから親になる人に提供する

 どうだろうか。私はこれを見て、いかにも維新らしいと感じた。

 偏見を助長するどころではない。これほど非科学的、空想的な思い込みでつくられた条例案もないだろう。 専門家によれば、発達障害は先天的脳機能障害であり、親の愛情云々の問題ではない。もちろん、 親が愛情を注いで子どもを育てることは重要であるが、それと発達障害は別の問題である。 そもそも伝統的子育てとはいったい何を言っているのか。"正しい伝統"から今は逸脱してしまっている と、彼らは現状を嘆きたいだけなのだろうが。

 インタビューを受けた、大阪維新の会代表で大阪市長の橋下徹氏は、 「僕も市民としてこんなことを言われたら、余計なお世話だ、ほっといてくれと言いたい」 などと発言していた。

 このヒトはいつもこうである。

 自分が代表を務める団体が提出をもくろんでいた案なのに、 形勢が不利になるとすぐ態度を変え、「そんなことは了承していない」とでも言わんばかりの反応をする。 卑しくも代表ならば、市議団が提案を画策していたことを、あなたは知っていたでしょう。 否、あなたの考えに基づいた案ではないのか。ずるいを通り越して、いったいどの面下げてそれを言ってるんだ 、という話だ。万に一つ、知らないところで進行していた条例案だったとしても、 代表のあなたに責任はあるはずだ。

 新聞報道によると、この条例案はもともと「親学」を提唱する高橋史朗・明星大教授から 文案の提供を受けたものだという。高橋教授は、財団法人親学推進協会の理事長で、 2007年、当時の安倍晋三首相が主導する教育再生会議で、子育て指南の必要性について意見陳述を したこともあるという。

 もう、非常にわかりやすい思想的つながりである。 安倍元首相といえば、前時代的な家父長制を理想とする復古趣味の御仁である。

 それにしても、橋下サンが口を開くと、全部自分の側に正義があり、対立する相手側が悪者ということに なってしまう。その能力は、天才的である。大阪市の職員を敵に回し、大阪市がこれまでやってきたことを痛烈に批判し、 多くの人の喝采を浴びているが、それはちょっと立場が違うんじゃないのか。

 こんなとんでもないことが日々行われているのが今の大阪。他地域の方は、この政治状況を単に面白おかしく 傍観しているだけでしょうが、もしこんな政治団体が国政を牛耳ったら、 とんでもなく差別的で、人を人とも思わない法律群が生み出されてしまうかもしれない。

 おそらく維新の会は憲法を、「男は男というだけで偉い。女は愚かで弱いから家に居て家事、子育てに専念しろ。 弱い者は黙って強い者に従え。日本の伝統文化は世界一だから、力で他国を制圧してもいい。 そのために軍隊を持って核武装する。貧乏人は戦場に行け・・」といった思想で作り替えたいに違いない(というふうに見える)。 とっても恐ろしいことだが。

 このように、万事が強者(であると空想している者)の論理で貫かれている維新の会が台頭している限り、 大阪は益々ギスギスした街になってゆく。彼らを喝采している人の神経が、私にはまったくわからない。

2012年5月10日
 "犯罪者" は "民意" で作り出せる


 小沢一郎被告を無罪とした東京地裁判決に対し、検察官役の指定弁護士は控訴する方針を固めた。 つまり、小沢氏の無罪は確定せず、舞台は東京高裁へと移ることになった。

 そもそもこの事件は、東京地検特捜部が嫌疑不十分として不起訴処分としたあと、 市民で構成される検察審査会が「起訴相当」と議決し、強制起訴されたもの。 言い換えれば、プロが起訴できないと判断したことに対し、"民意" という名の素人が "疑わしいから裁判に掛けよう" と主張したものである。

 私は、一連の経緯に対するマスコミの報道に、非常に危険なものを感じる。 即ち、小沢を叩くのが民意であり、裁判の結果とは関係なく、小沢を社会的に抹殺しなければならない、 というような、偏った正義感に満ちあふれているのだ。

 先日、ある雑誌の見出しに、次のような文字が並んでいた。 私は、我が意を得たりの思いであった。

 「小沢一郎は無罪でも消えろ」暴走検察と併走する巨大メディアの大罪

 無罪でも「判決文を読む限り黒に近いグレー」と書く。
 無罪でも「秘書は有罪」と必ず付け加える。
 無罪でも「検察の民意」を強調し制度の問題点は無視。
 無罪でも「街頭の声」を根拠に「国民は納得していない」と書く。
 無罪でも「説明責任は果たされていない」と国会喚問を煽る。

 小沢を抹殺することが正義だと言わんばかりの多くのメディアの問題点を指摘したものである。

 たぶん、私がこんなことを書くことによって、 「小沢を擁護するとはけしからん」「反社会的な見解だ」といったトンチンカンな批判が私にも向かってくるかもしれない。

 言っておくが、私は小沢擁護派ではない。彼が政治の表舞台に戻ってくることが、 良いこととも思えない。だが、それと裁判とはまったく別物である。

 本日付の朝日新聞1面の大見出しに、"小沢氏無罪「判決に誤認」 指定弁護士が控訴" とある。 仮にも大新聞が、"判決に誤認" などという言葉を使うとは、恐ろしいことである。 読者を誘導しようという意図があると言われても仕方ないだろう。

 司法が無罪判決を出したのだから、黒でもグレーでもなく、白なのだ。 ただ、地裁判決だから、高裁に控訴する権利は当然ある。それ自体は何ら批判されることではない。 だが、それに乗じて、"やっぱり完全な白ではない" いや、"限りなく黒に近い" などと言うことは、 司法制度の明白な否定である。

 こうやって、"犯罪者" をつくりあげ、民意を誘導することができる。 とても恐ろしいことである。



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