時事ネタコラムのページ [利酒日記別室]

2015年04月


2015年4月2日
 春が来た、そして過ぎてゆく


 一人息子が進学のために下宿し始めた。

 そう書くと、ほのぼのとした家族の幸せなひとこまのように聞こえるかもしれない。 あえてそのように書いている。しかし、我が家にとっては一大事であり、 私個人としても、人生の局面が大きく変わる重大な節目を迎えたことを意味する。

 18年間、離れることなく、一緒に生きてきた。 男の子は一般に、思春期くらいから親と距離を取りたがり、 会話もあまりない状態の家庭も少なくないと聞くが、 我が家にはそれは当てはまらず、常に親子でいろんなことを話し、意思疎通を図ってきた。 意図的にというより、そうすることがごく自然であったからだ。

 インドア派の我が家は、休日には家族でよく水族館、動物園、美術館などに行ったり、 家の近所のおいしい店を巡ったり、ランチやお茶をするのにも家族全員でよく出かけていた。 毎年春には、いつもたった1泊だけれど、国内の大都市部(決してリゾート地ではない) のちょっとリッチなホテルに宿泊を主目的として観光に出かけていた。

 日常の食材の買い物だって、家族全員で行って相談して決めるようなことを、よくしていた。

 自由業の私は、自宅では毎晩遅くまで、TVのついた狭いリビングで、PCに向かって仕事などを してきた。同じ空間で息子も学校や塾の宿題などを遅くまでやり、 時折バラエティ番組を見ては一緒に笑ったり、ニュースを見て真面目な政治論議をしたりと、 よその家からすると少し変わった日常生活を送ってきた。 早い時間帯には、家族3人でクイズ番組を見ながら真剣に解答合戦をしたりもした。 息子が自分の部屋に籠もるということはなく、いつも家族全員が同じ部屋にいて、 勉強したり、仕事をしたり、家事をしたりしていた。 そんな中で、彼は中学受験も乗り切ってきたし、今回の大学受験も同じ生活の中で、第一志望合格という目標を達成した。

 こういう育て方、接し方は、実は彼が生まれた時点で私が理想と考えた方法であった。

 我が家は都会の繁華街に近い比較的猥雑な環境にあり、一歩外に出れば、 24時間人が歩いている。駅周辺には様々な店があり、悪くいうと落ち着かない。 世間一般には、子育てにはあまり向かない環境と言われかねない街である。 だが、物心つく前からこのような刺激の多い環境で育つと、人は好奇心旺盛になってゆくものだ。 私自身、郊外の静かな環境が苦手ということもあり、刺激いっぱいのうるさいくらいの環境で我が子を育てたい と考えた。それが正しいことと信じて。

 また、多くの家庭では、子供が生まれると生活のペースがどうしても子供中心になりがちで、 それはある程度仕方のないことなのだが、我が家ではなるべく子供に媚びず、大人のペースで 日常生活を送ってきた。親が行きたいところには、子供が小さい頃から連れ出し、大人と同じ体験をさせてきた。 そうすることで、大人の世界の良いところも悪いところも早くに学習するし、 子供に合わせないことで、自立心が早くから育つと信じていたからだ。

 このような私の基本方針に対し、時々妻から反対意見が出された。もう少し子供のペースに 合わせて欲しいと。しかし私は頑として、大人のペースで生活は運営すべきだと主張し続けた。 親のわがままだ、と誰に言われてもかまわない。息子の将来を真剣に考えればこその決意だったからだ。

 その思惑通り、息子は小さい頃から非常に独立心旺盛で、大人びた考え方をする子供になった。 私の方針に時に反発心を持ちながらも、一生懸命息子を育ててくれた妻には、 本当に感謝している。今でも中学受験の時は一番たいへんだったというが、 確かに彼女の頑張りがなければ、息子の今はなかっただろう。

 子育てにおいて親のすべきことは、子供がたった一人でも力強く生きてゆけるような人間にすることである。 いつまでも親に依存するのではなく、早く独り立ちしたいと考える大人にすることである。 親は子供よりも先にこの世を去ってゆかなければならない。最後まで面倒をみることなどできないからだ。

 昨今流行の復古趣味的家族観をお持ちの方たちは、二言目には、家族の絆が大事だという。 それはもちろん大事なのだが、その絆という言葉の意味が、たとえば子供は老いた親の面倒を見るのが 当たり前だとか、家族は互いに肩寄せ合って生きなければいけないという、 べたべたした、依存し合った自立しない関係を礼賛しているようにしか、私には見えない。 でもそんなものは本当の絆ではないと、私は考える。 いわゆるマザコンを肯定するに至っては、気持ちが悪いとしかいいようがない。

 家族が大切なのは当たり前である。家族を愛しているのは当たり前である。 愛しているからこそ、それぞれが自立した大人として互いに尊重しあい、 もたれ合ったり依存し合ったりしないことが肝要なのである。 各々の選択を尊重しあい、認め合い、許し合うことこそが、愛情の発露なのである。

 進学のために家を出て行った息子は、もうおそらく、地元に戻ってくることはないだろうし、 同じ屋根の下で暮らすことは、もう一生、死ぬまでないだろう。就職先も地元以外でみつけることだろう。 なぜそんなことを思うかといえば、私自身がそういう人生を送っているからだ。

 私の実の両親は、ありがたいことにいまだに健在だが、 「親が年老いてすべきことは、子供に迷惑をかけないで自立して生きることだ」と言っている。 そんな両親のお陰で、遠く数百キロも離れた地で、ずっと暮らしてきた。 それを、冷たい親子関係だと言いたい人は言えばいいが、当人たちは絶大なる信頼関係で結ばれている。 お互いの選択を尊重し合うことが、相手を思いやることだという共通認識を持っているからだ。 もちろん、今は元気だから良いが、健康上の問題が出て来た時には、住まい方などは両親の希望を聞きながら、 その時に考えるつもりではいる。

 我が子が自分の元から離れてゆくことになって、 両親の気持ちが本当によくわかった。こんなに胸を痛めて、辛い思いをして、 それでも明るい笑顔で送り出さなくてはならない。巣立ちはこの上ない喜びなのだから。

 息子は受験に際して、絶対に地元(関西)を離れると宣言した。家を出て一人暮らしをすると宣言した。 私が思い描いていたとおりの大人になってくれたのだ。こんなに喜ばしいことはない。

 私は家では強がっているが、最近街で仲の良さそうな親子連れを見ると、 涙が出て来そうになる。これまでの18年間が頭の中をよぎる。 だが、この気持ちを超えてゆくことが、親としての私の使命であろう。

 息子の進学先の選択肢として、1000キロ以上離れた地という可能性もあったが、 受験の結果、私自身も青春時代を過ごした首都圏に落ち着いた。なんと、私自身が数年間暮らしたことがある同じ街で、 息子は生活することになった。 それを一番喜んでいるのは私の両親(息子の祖父母)である。なぜなら、日帰りできるくらいの適度な距離に 住んでいるからだ。私の間接的な親孝行と言えるのかもしれない。 3月に合格発表があってから、本当に息つく間もないくらい、諸手続や、部屋探しや、 家財の調達などに親子で奔走し、あっという間に時は過ぎていった。

 息子のいなくなったリビングで、今この文章を書いている。朝型人間の妻は、もうとっくに寝ているから、 一人寂しく、これまでのこと、これからのことを考えている。 理系に進んだ息子は、最低でも修士までは行く予定なので、これからまだ最低6年間は、学費や生活費がかかる。 すねをかじってくれることだけが、唯一の明確なつながりのように思え、それがこれからの私の生き甲斐 になる。べつに将来何になって欲しい、どこに就職して欲しいという希望はない。それは彼が決めることだ。 家業を継いで欲しくないの?と人は問うが、そんなことは考えたこともない。そんな押しつけだけは、 最もしてはいけない。そのため、私は他人を雇わず、一人で営む「自由業」を貫いているのだ。

 最近は、大学の入学式にまで多くの親がついてくると、否定的に報じられることがある。 もう子供ではないのだから、同伴する必要性はもちろんないのに、なぜ親も出席するのだろう。 誇らしいからか?などと、私も随分否定的に考えてきた。しかし、実際に自分がその立場になってわかったことがある。 離れてゆく我が子に、最後に寄り添えるチャンスなのだ。 子離れ式という意味で、私と妻は、息子の入学式に出席する予定だ。 くしくも大学からは、2名という人数制限が設けられた入場券が送られてきた。

 私の大好きなカラオケ曲に、木山裕策の「HOME」という歌がある。 著作権の関係で、ここに歌詞を転載することはできないが、 父親が公園で遊んでいた子供の手を引いて、家に帰ろうという内容の歌だ。 我が子を愛しいと思えば思うほど、自分の両親への感謝の念が湧いてくるという歌だ。 もうこれからは、辛すぎて、歌うことはできないかな。

 我が子が小さかった頃のこと、自分自身が若かった頃のこと、色んな思い出が交錯しながら、 この春は過ぎてゆく。


2015年4月17日
 教育現場への思想的介入と、学校の自治


 この春、一人息子が高校を卒業し、大学に進学したので、 卒業式と入学式にそれぞれ出席する機会があった。

 2日付けの当コラムに書いたとおり、大学の入学式にまで親が出席することには、 批判的な意見があることも承知している。いい年をして親離れ、子離れできていないのはみっともない との指摘で、私自身も以前はそう思っていた。しかし実際に当事者になり、批判者と当事者の心理、 真意は大きく異なることに気づいた。

 親は、子供のことが心配で付き添いたいといった気持ちでは まったくない。そういう意味でなら、それこそ勝手にやってくれればいいと思う。 そうではなく、今後は我が子のこのようなセレモニーを見る機会がもうないので、 成長した我が子の姿を確認するためと、年老いてゆく自分自身への寂寥感、 まだ老け込んではいないぞ、子供が小さかった頃と何も変わっていないぞという強がりなど、 親としての様々な思いの「中間決算」として、いわば親自身のために、一観覧者として出席したいのだ。

 息子の卒業した中高一貫校は、キリスト教精神に基づいて設置された学校であり、 生徒は「倫理」の時間に聖書を勉強することが義務づけられている。私自身、大学時代に 同様に聖書の勉強をしたことがあり、建学の精神にも共通したものがあって、 とても親しみやすい教育環境であった。

 また、私学ということで、教科書はすべて学校独自選定のものを有料で購入し、 独自のカリキュラムで授業が行われる。よく知られているように、 高等学校で学ぶべき範囲を高2までにほとんど終えてしまうので、3年次には余裕を持って受験対策ができる。

 しかし私が考える最大の利点は、思想的にかなり自由であるということ。 排他性や画一化とはおよそ無縁であり、生徒各人の自由意志が尊重される。 いや、校則という意味では、携帯電話禁止や、学校帰りに制服姿で飲食店などに立ち入ることが禁止されているなど、 公立学校よりも厳しい面は多々ある。 しかしながら、生徒を画一的に染め上げようとするムードは皆無であり、進路指導などにおいても、 各人の希望を最大限尊重してくれる(このあたりは、私学でもかなり違う学校はある)。

 近年、入学式、卒業式などの学校行事に際し、国や自治体から「日の丸・君が代」の強制が急速に進行しているが、 息子の通っていた中・高では、君が代斉唱が行われることは、6年間ほとんどなかった。 しかし、高校卒業式では生徒全員が起立している際に、君が代斉唱が行われた。 ついにこの学校でも、昨今の「ムード」を忖度した措置なのか?と思ったが、同席している保護者や来賓などに起立を求める ことはなかった。学校の校歌と同じように、歌いたい人は歌えばいいし、そうでない人は聴いていればいい。 これが大人の対応というものである。

 時は移って、新年度4月。大学の入学式はどうだろう。注目して出席した。

 首相が参院予算委員会の席で、国立大学の入学式、卒業式での日の丸掲揚、君が代斉唱について、 「正しく行われるべきだ」と発言して物議を醸したが、これは現状でどちらも行われていない大学が 大多数に及んでいるからである。その状況を苦々しく思っての発言なのだろうが、 当然の如く、 「大学には自治があり、大学はある種の社会の成熟さを表す機関でもあり、 そこに強制力を及ぼし得るような形で発言されるのは、一言で言えば幼稚だ」 という厳しい批判が、民主党の細野政調会長から発せられた。私もまったく同感である。

 件の首相発言の後に行われた息子の大学の入学式では、日の丸は高々と掲揚されていたものの、 入学式次第の中に、君が代斉唱はまったくなかった。 権力者からの「強制」を、完全に無視した格好であり、大学としての自治がしっかりと確立されている ことに、私はホッと胸をなで下ろした。

 この件については、次世代の党の議員などからも「税金で運営されているのだから徹底は当然」などと、 教育現場まで一つの色で染め上げようとする、厚顔無恥な発言が繰り返されているが、 国旗国歌法が制定された時の主旨や、その時の政府による説明など忘れてしまったかのような暴言である。

 ところで、その入学式での総長の式辞の中で、大きく共感した話があった。

 多様性を尊重することが大事であり、異文化の人間同士が受容し合うこと、そのためには 自己を相対化する視野が必要であるといった話である。

 これは昨今、この国に巣くっている、異文化の排除、思想的に異なる者への下劣な攻撃、 自己に埋没した「自分目線」でしか物事を考えられない狭量な人間の増殖といった風潮に対する 強烈な批判であるように、私には思えた。

 このような先生の率いる学校なら、我が子を託して大丈夫だと感じた、貴重な1日となった。


2015年4月20日
 言論統制も、ついにここまで


 今やこの国は民主主義国家とは言い難い状況であり、 一色に染め上げようとする言論統制の前に、従来はリベラル系メディアと目されたテレビ朝日でさえも、 「物言えば唇寒し」の様相である。

 そんな中、放送倫理・番組向上機構(BPO)について、自民党は、 政府が関与する仕組みの創設を含めて組織のあり方を検討する方針を固めたという。

 そもそも民主国家における報道とは、政治権力から完全に独立した機関でなければならず、 権力の監視をその本分とするものである。そこに、政府が影響力を働かせようとするなどは、 とても民主国家とは思えない、いわば狂気の沙汰であり、この国がついに 北朝鮮と同様の国家になろうとしている証左と言わざるを得ない。

 与党議員たちも、政府が言い出していることが、どんなに狂っているのか、自覚はないのだろうか。 放送局も、ここまで言われてなお、権力の犬たらんとするなら、 すべて国営中央放送になればいいのである。

 こんなとんでもない構想は断じて許してはならないし、この狂った状況を、 野党は徹底追求する責務がある。


2015年4月27日
 ちゃんと事実を知った上で、判断して欲しい


 いわゆる「大阪都構想」に関し、知られているようであまり知られていないかもしれない 事実を、押さえておこう。

1.「都」という名前になるかどうかは、わからない

 大阪市で行われる住民投票で賛成票が多ければ、その結果は法的拘束力を持ち、 維新の会の提案するとおり、大阪市を廃止して、特別区が新設されることとなるが、 その場合でも、現行の「大阪府」が、そのまま「大阪都」に名称変更されるわけではない。

 都と名乗るには、新たにそのための法律を作らなければならない。 東京都や都民からかなり激しい反発が起こることは必定であり、 名称変更のための法律が国会で成立しなかった場合、大阪府は大阪府のままとなる。

2.大阪市の財源は、吸い上げられる

 大阪市を解体して、府直轄の特別区に再編されるということは、 現在、大阪市が持っている独自財源の大部分が、基本的に大阪府に吸い上げられるということである。

 現在の大阪府は、大阪市よりも財政的には厳しい。府内で一番豊かなのが大阪市であるから、 その豊かな財源を、府内他地域の赤字補填のために使われてしまうのはほぼ確実。 全体として大きな支出の削減が行われない限り、現在の大阪市域に配分されるお金は少なくなり、 住民サービスが低下する可能性が高い。

3.二重行政解消が主目的なら、大阪市独立という方法もある

 大阪市を大阪府から切り離し、いわゆる「特別市」にする方法がある。

 ただ、現在の「政令指定都市」制度ができたのは、 その昔、大阪市、名古屋市、横浜市などが、府県から独立して特別市になりたいと主張したことに対し、 府県が猛反発したことに端を発している。いわば妥協の産物として、 府県に留まりつつ、ある程度の権限を与えるという指定都市制度に落ち着いたものだ。

 でもそれが二重行政を招来したというのなら、もう一度「特別市」制度の議論を してもいいかもしれない。

 そうなると、残された府が今よりもっと財政的に厳しくなることを意味するので、 維新の会は「特別市」制度のことを一切語らず、ひた隠しにしているのが実情だ。

4.東京都の特別区は、決してうまくいっているわけではない

 千代田区、世田谷区など、財政的に余裕のある区は、 現状の特別区制度を脱し、「市」として独立したいと思っている。 そのほうが財政的な自由度が高まるからだ。

 東京都の特別区が成功したように見えるのは、ひとえに政治経済の一極集中によるものであり、 制度ゆえではないと言える。

 ちなみに、「区」は英語で ward のはずだが、 千代田区、世田谷区等の英語表記は、Chiyoda City、Setagaya Cityなどとされており、 各区の独立願望が現れている。



 HOME  利酒日記のメニューページへ  前月の時事ネタコラム  翌月の時事ネタコラム
 このページは、K氏の葡萄酒的日常利酒日記の別室で、WEBマスターが時事問題などについて、 勝手気ままに書き綴るページです。
 建設的なご意見、反論等はwelcomeですが(メールでどうぞ)、一方的な誹謗中傷は受け付けておりません。あしからず。